子ども面接と成人面接

授業では、大人なら言葉を尽くせるけど子どもはごまかせない、見透かされるから怖い、と発言した。
大人ならごまかせると思っているわけではないが、子どもと比べれば、一定の理解をした上でごまかされてくれるのではなかと思う。
もし理解できなければ、理解できないと言ってくれるだろうと思える。
でも子どもはごまかされてはくれないだろうし教えてもくれないように思う。
ただ自分の中に違和感を違和感のまま抱えてしまうのではなかと思う。

しかも子どもの純粋な目には、こちらの無自覚な「不純さ」も見えてしまうだろう。
自分が自覚なく「不純さ」をまき散らし、それを子どもが浴びて逃げることも振り払うこともできずに影響を受けてしまうことを想像すると、こんなに恐ろしいことはない。

でもここまで書いて、自分(大人)は影響を与える側、子どもは影響を受ける側、と決めつけているとしたら、自分は子どもを見くびっているのかもしれないと気づいた。
不要なものは拒絶したり跳ね返したりすることはできるだろう。
自分が子供から影響を受けることだってもちろんあるだろう。
本能的な感覚を思い出させてくれるかもしれない。
また、自分が及ぼす影響は悪しきものというイメージも自己卑下が過ぎるかもしれない。

成人も子どもも、セラピストとクライエントという形で出会ったなら同じように、セラピーという枠を共有する適切な関係性を持てるイメージを持っておく必要があると感じた。

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