続けて会うということ

ケースの面談中、見立てを言いながら継続面接の提案をした際、
クライエントが「ここで話をすることは自分の混乱を整理できるし安心できるんだけど、家に帰ると、でも結局は自分で決めないといけない、聞いてはもらえるけど助けてもらえるわけではない。
自分のことは自分で決めるしかない。
そのことを思い知ってしんどくなる」と言った。

継続することへの拒絶や抵抗というニュアンスではなく、2回の面接で感じた正直な感想を教えてくれているように思えた。
この時授業で学んだ、「続けて会うということ」それ自体に意味があり、約束そのものが治療的に働くということを思い出した。
授業中は先生の体験談に感動し、その通りだと大いに納得した。

でもはたしてこのクライエントにとってはどうだろう。
セラピストに何とかしてもらおうとは思ってもいない聡明なこの人にとって、私のとの約束が有効に働くのだろうか。
負担にはならないか。
授業での学びを信じて、「確かに決めるのはあなただけれども、決めるまでのプロセスを一緒に考え話し合うことには意味があると思います」というようなことを説明し、「まずは11月末まで、週1回のペースで続けてお会いしましょう」と具体的に提案をした。
言いながら自分自身への宣言のようにも感じた。
面談終了時クライエントがすがすがしい表情で退室されるのを見て、続けて会う約束をしたことで肝が据わったような、よっしゃ、やるか、という腹の括りというようなすがすがしい覚悟がクライエントの中に生まれたのかなと思った。

・・・いや、それを味わったのは私の方だったようにも思う。

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